石谷治寛(いしたにはるひろ)美学・芸術学。広島市立大学国際学部准教授。京都市立芸術大学芸術資源研究センター客員研究員。十九世紀フランス美術と視覚文化に関する研究から、外傷記憶の再演を扱う現代アート、メディア芸術の保存とアーカイブなどを考察。マイク・ケリー、ウィリアム・ケントリッジ、ダムタイプなど論考多数。都市への芸術介入を調停する人材育成を目指すHACH(広島芸術都市ハイヴ)を運営。著書に『幻視とレアリスム―クールベからピサロへ フランス絵画の再考』(人文書院)。共著に『アートセラピー再考』(平凡社)、共訳にクレーリー『知覚の宙吊り』(平凡社)、『24/7眠らない社会』(NTT出版)など。『MAMリサーチ006:クロニクル京都1990s−ダイアモンズ・アー・フォーエバー、アートスケープ、そして私は誰かと踊る』(森美術館)を共同企画。
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1923年6月-2013年3月
1923年6月広島生まれ、文筆家。1950年初頭から酒場梟を営み、地元文化人をはじめ、評論家の青山二郎、作家の井伏鱒二、写真家の土門拳らも広島に来ると訪れる店となった。1953年、中国新聞紙上で巻き起こった「第1次原爆文学論争」と呼ばれる議論の口火を切る。安易に原爆の惨状にふれる表現、そして広島では原爆を取り上げない小説や絵画は真の作品として認められないような風潮を批判した。広島市内にまだ美術館がなかった1966年画廊梟を開業し、優れた審美眼により広島の画家を紹介、育てることに力を注いだ。1986年の閉廊まで250件近い展覧会を開催。2013年3月没。
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1899年-1979年
1899年広島市生まれ、1979年没。1926年斎藤与里に師事。1926、27年広島美術院展。1944年東光会会員。1946年福井芳郎、野村守夫らと広島美術家連盟結成。同年東光会系の画家らと結成した朝光会の美術展を開催。その後、東光会広島支部初代部長、東光会審査員、広島県美術展審査員を務める。1977年勲五等瑞宝章受章。画廊梟では、1966、67、68、73、74、76年の個展に出品。